奪わない支援って

いつもご案内いただいている
べてるの伊藤さんから、
べてるの向谷地生良むかいやち・いくよし)さんの情報をいただきました。
 

働きやすい働き方を発信するwebサイト「サイボウズ式」に向谷地生良さんと

組織論・経営戦略論の理論研究家の宇田川元一さんの対談が

掲載されています。

ご覧ください。

 

https://cybozushiki.cybozu.co.jp/articles/m005505.html

 
組織論・・かたいなと思われるところから対談からはじまるのですが、
すすむにつれ、大切にしたいこと、取り組んでいることと
相通ずるな・・と
感じたので
シェアさせてくださいとご連絡したところ快諾いただきましたのでシェアします。
 
私のつぶやきです。記事の感想ではないです~。
なぜ相通ずるな・・と思ったかですが、
DCM(認知症ケアマッピング)を学び実践する中、私から見た〇〇さんではなく、
常に、〇〇さん本人にとってどうかということなんです。
苦労なんてしないほうがいい
と思うのは誰なのか。
 
べてるには「人生の苦労を取り戻す」という標語。
その標語の意味は、生きづらさの背景にある大切な「本来の自分らしい苦労」を探して引き受けることを大事にしています。
とあります。
 
そこなんです。
すべてをふくめた自分。
苦労=できないことであったり、苦労=やっかいなこと。
専門職という名の下、高齢だから、障がいをもっているから、というレッテルを知らず知らずのうちに
貼ってしまっているのではないか。ということ。
 
ともすれば、私たちは、サービスという名のもと、苦労を奪うことは、あなたのためだからと・
・しらずしらずのうちに誘導していないでしょうか。
そうなる可能性があるということを、理解したうえで、振り返る必要があると思っています。
 
若年性認知症の当事者でもある、丹野さんが、生きづらさは、生きている証ですよ。
リスクは自分で負いたい。リスクを奪われることほど辛いことはない。
リスクがなくなるといことは何も無い世界。何もできなくなる。という話をされていたことを思い出しました。(6月に大阪にお越しいただいたときにお話いただきました)
 
まさしく奪わない支援。
(究極のサービスという名のもと、やってあげる、自分たちがやったほうが早くて安心。的な考えで、見方をかえると、
できないのだから、だまってサービスを受けてください。
といった、人をコントロールをしようとする、する側、される側的な動き。)
そんなことをあれこれ考えていると、
 
現在進行中の、一度奪った生活をとりもどすために、
取り組んでいることを、行ったり来たりしながら、振り返ることができるな~と思いました。
 
なごみ 福留